日本と中国の漢字使用状況の比較

日本と中国の漢字使用状況の比較研究

村田 忠禧(横浜国立大学)

これは平成九年度~十一年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(2)研究成果報告書『国際的情報交換の視点にたった東アジアの漢字文化の個別性と共通性についての研究』(研究代表者 村田 忠禧 2000年3月31日発行)に発表した報告論文のうちの「一 はじめに」と「九 まとめ」の部分です。読みやすいように改行を加えました。全文は横浜国立大学のトポジトリ(http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/)に登録されておりますので、詳しい内容はそちらをご覧ください。

一 はじめに

 アヘン戦争でのイギリス軍艦の砲声は中国の清朝の封建体制のみならず、東アジア全体を震撼させた。以来、日本でも中国でも、アルファベットという表音文字を使用する西洋文明からの全面的な進撃を受けるとともに、一刻も早く受動的局面から脱却しようと願う知識人の間から、東アジアの文明が停滞した原因の一端が漢字にあり、近代化実現のためには漢字を廃止し、表音文字を採用すべしと主張する動きが起こった。

 漢字を近代化実現のためのマイナス要因と見なす傾向はかなり長期にわたって人々の脳裏を支配してきており、コンピュータが登場した際にも、漢字はコンピュータ時代に生き残れないものと否定的に評価された。

 インターネットが登場した時もそうであった。ただ幸いなことに人々はさまざまな英知を出してこれらの難関を突破し、東アジアの地において、漢字はその使命を終えるのではなく、むしろ新たな文明を創造するための重要な役割を担う可能性があることを事実でもって立証している。

 しかし東アジアの漢字文化圏は、政治や社会の歴史そのものが十九世紀中葉から、分裂そして対立へと歩んでしまい、近代化を共同して行なおうとする機運は育たなかった。

 そのような険悪な関係が一段落した二十世紀中葉以降の新しい平和的な環境下でそれぞれの国の再建を進めてゆく過程においても、漢字の改革を共同して行なおうとする発想は生まれなかった。

 朝鮮半島においては、日本の植民地統治からの解放だけでなく、漢字そのものの束縛から脱却しようと、民族独自の文字であるハングルを全面的に使用する方向に進んでいった。

 日本においては、当用漢字(その後の常用漢字)を制定することで使用する漢字の数を制限するとともに、それらの漢字について字形を簡略化するという部分的改良がなされた。

 中国においては、漢字文化は政治の影響を直接的に受け、大きく二つに分裂してしまった。

 中国共産党は中国大陸全土において革命を成功させると、大量に存在する農民の文盲を一掃するため、文字改革に積極的に取り組み、異体字を排除し、漢字を整理統合するとともに、筆画数を大幅に減らす大胆な漢字表記の簡略化を推し進めた(簡体字の制定)。

 一方、台湾島に逃げのびた国民党政権は、自己の統治の正統性を主張すべく旧来からの漢字文化を死守する姿勢を示したため、中国において簡体字と繁体字という二つの中国語の表記体系が生まれた。

 中国語の世界ですらこのように対立しているのだから、ましてや言語を異にする日本語や朝鮮語を含めた東アジア全体で漢字文化のあり方を考えることなど、ほぼ夢物語のような時代がかなり続いてきた。

 多くの人からいずれは消滅するものと予測されていた漢字は実際には消滅しなかったし、今後もその傾向に進むようには思えない。今、東アジアでそれぞれ独自の道を歩んできた漢字文化に新たな動きが始まっている。

 政治の世界での対立はかつてほど激しくなく、国境や政治体制の違いの枠を乗り越え、経済活動が地球規模で活発化している。とりわけ中国が改革・開放政策を全面的に採用するようになった二十世紀の末には、来るべき二十一世紀には東アジアが活力あふれる地域としてこれまで以上に重要な役割を占めるとして世界から注目されるようになっている。

 経済活動の急激な発展は物資の流通だけでなく、必然的に人や情報の往来を加速化させている。当然、文字の世界にもその影響が現われる。

 これまでそれぞれの言語の内部問題として考えられてきた漢字の問題が、決して各言語独自では完結しない問題を抱えていることが明らかになってきた。

 それはコンピュータが漢字を扱えるようになったこと、それぞれの言語にもとづくコンピュータのオペレーションシステムが使用でき、普及したこと、とりわけインターネットの爆発的な発展で、それぞれの言語で表現された情報を居ながらにして、瞬時に、誰もが受信し、発信できる時代になったことで、漢字とコンピュータとの関係をどのように解決するのかという新しい課題が登場してきた。

 コンピュータの世界ではその問題を解決する一つの方法として、ユニコードが制定された。ユニコードUnicode(ISO10646/JIS X 0221)―国際符号化文字集合はそれぞれの言語が独自に作ってきた情報交換用漢字コード体系を一つにまとめることを目指したが、既存の各情報交換用漢字コード体系に出現する漢字すべてにコード番号を割り振ることが不可能であるとして、字形が共通であるか否かを主要な判定基準として取捨選択して定めたコード体系である。

 しかし基礎になっているそれぞれの情報交換用漢字コード体系そのものが抱えている問題にはまったく手を付けていないため、本質的な問題解決にはなりえない。

 筆者の考えでは日本のこれまでの漢字をめぐる論の多くには重大な欠陥があると考える。それは大きく言って次のような点である。

 1) 漢字を日本語や中国語というそれを使用している各言語固有の文字であるかのように誤解していることである。アルファベットが決して英語を表記するためだけの文字ではなく、さまざまな言語を表記するために用いられているのと同様に、漢字もさまざまな言語で使用されうるし、現に使用されている。

 しかし人々は漢字の具体的な表現形態である字体の違いにまどわされて、漢字と言語との結びつきをあまりに強固に考えすぎている。そのため、日本での漢字論議はあくまでも「国語」の世界から抜け出ていないし、中国においても中国語(漢語)の世界しか念頭にない。

 2) 図形文字(このような表現が妥当かどうかはとりあえず脇において)である漢字を、あたかも印鑑と同じような図形として見る傾向が強く、文字としての漢字の機能に着目する視点が乏しいこと。

 3) 漢字は使われる時代や地域において、それぞれ一定の体系を有しているのであって、時代や地域の違いを無視してそれらを混在させることは正しい用法とはいえない。それは歴史的仮名遣いと現代仮名遣いを混在させて用いるのが正しくないのと同様である。

 しかし日本では旧字体と新字体の混用が著しく、また異体字を整理統合し、漢字の規範化を図ることが十分に行なわれていない。

 あたかも歴史的に存在したことのあるあらゆる漢字を同一次元で表現できることが漢字問題を解決する鍵であるかのように論ずる向きもある。地球上に存在したことのあるあらゆる漢字を表現できるようにすることは意義のないことではないが、それは問題の解決にはならない。漢字の実際の使用状況から出発しない議論である。

 あらゆる問題を考えるうえでそうだが、何事も実際の状況を正確に把握することから出発すべきで、その意味でまず日本語や中国語で漢字がどのような使われ方をしているのかを正確に掌握し、そのうえでコンピュータ時代における漢字文化のあり方を考える必要がある。

 そのような視点にたって、以下に日本語、中国語のさまざまな分野における漢字の使用状況を明らかにし、問題点の所在を明らかにする。

 具体的にはパーソナルコンピュータで扱える日本語と中国語での漢字の使用状況を、政治、教育、新聞、人名・地名の分野で調査し、それぞれの特徴を明らかにすることから出発する。

九 まとめ

 これまでの分析から日本語と中国語では漢字の使用状況に共通性と個別性が存在する。両者に共通する点は以下のようなことである。

 1) 日本語でも中国語でも実際に使用されている漢字の異なり字の総数は数千の単位であって、数万ではない。字種の数は調査する対象が多方面になり、また数量も多くなれば、当然のことながら増大するが、中国語の場合にはおよそ7,000程度、日本語の場合には5,000程度であって、それ以上急激に増大することはありえない。

 2) 中国語でも日本語でも活発に常用される漢字とそうでない漢字の集団があり、それぞれの活動量はかなり異なる。

 中国語の場合には使用頻度の上位3800から4300位程度の漢字で99.9%以上の覆蓋率を達成することができる。

 日本語の場合には使用頻度の2800から3000位程度で99.9%以上の覆蓋率を達成できる。これら常用的な漢字の集団を把握することが漢字をめぐるさまざまな問題を解決するうえで鍵となる。

 3) 漢字の問題を考えるうえで、中国語や日本語というそれぞれの言語の中だけで漢字の問題を考えてはならない。

 とりわけ人名や地名など固有名詞は翻訳不能なものであり、たとえその言語独自では使用されることがない漢字であっても、漢字文化圏全体での情報交換という視点から、共通して利用できる環境を確保しておく必要がある。

 4) 日本で中国でもそれぞれ独自に情報交換用漢字符号集を制定し、コンピュータ時代に漢字を対応させるうえで大きな役割を果たしたが、いずれの漢字符号集も不十分な点が存在しており、いずれ全面的な見直しをする必要があると思われる。

 同時に、日本語と中国語の間では言語の違いなどの原因から、漢字にたいする対応に異なった側面が存在する。

 1) 漢字のみを基本的文字とする中国語の場合には、漢字の改革を異体字の排除と漢字の簡略化、印刷用字形の確定という点に重点をおき、漢字の使用を抑制するという発想にもとづく漢字政策は見られなかった。

 日本語の場合には漢字のほかに仮名文字という基本文字が存在するため、漢字の使用を制限させる改革が行なわれてきた。同時に、異体字を排除して規範的な漢字表記を確立することについては明確な指針を出していないため、常用漢字に含まれる漢字のみ字形を簡略化し、それ以外の漢字は旧来の字形を用いるという、新旧二つの字形が複雑に混在する状況が続いている。

 2) 日本における漢字の使用を抑制する政策は、教育用漢字、常用漢字という基本的な漢字を定着させるうえで積極的な役割を担ってきた。

 しかし常用漢字の中には今日の日本語における漢字の使用状況に合致していないものも存在しており、再検討が必要である。

 中国におけるGB漢字符号集の制定にあたって、使用頻度の統計にもとづいて第一級、第二級という区分をしたことはかなり効果を挙げているが、それとの比較でいえば、日本のJIS漢字符号集の第一水準、第二水準の区分、あるいは漢字符号集への漢字の選定にかなり重大な問題が存在しており、それが漢字問題としてさまざまな議論を呼び起こしている。

 日本でも中国でもこれまで漢字の問題はそれぞれの言語固有の問題であり、他の言語の干渉を受けないようにすることに力点が置かれてきた。

 もとよりそれぞれの言語文化の独自性を保つことは重要なことではあるが、文字としての漢字は言語の枠を越えて存在する。それはアルファベットが英語にのみ限定された文字ではなく、世界のさまざまな言語で使用されているのと同様なことである。

 このような観点から、漢字を文字として使用している東アジアの各種言語は漢字の問題を共同して調査、研究し、漢字文化の現代社会での役割、とりわけ高度情報化社会におけるその積極的活用について解明してゆく必要があると思われる。

 そのためには何よりも正確に現実を把握するより大規模で広範な分野に及んだ実態調査が必要である。

 本研究はまだその初歩的な段階にすぎないが、新しい次元での東アジアの漢字文化を再建するのために一石を投ずることができれば幸いである。また漢字の問題だけでなく、今後は漢字を手がかりにして語彙の調査、分析が必要であることを申し添えておく。