研究室概略

村田忠禧の現代中国研究

私が中国と関わりを持つようになったのは1965年に大学での第二外国語として中国語を選択したことから始まります。以来、中国語を学ぶうちに、次第に中国という世界に引き込まれて行ったわけです。
中国についてはほとんど関心も知識もなかった人間が、どのようにして中国に関心を抱くようになっていったのか、またなぜ中国研究を自分にとっての重要課題と認識し、いろいろ試行錯誤を繰り返しながら、中国についての理解、認識を深めていくことができたのかを、みなさんに紹介したいと思います。

村田忠禧からのメッセージ

これまで書いた文章からの抜粋より

これまで見た通り、歴史事実としては日本が尖閣列島と呼ぶ島々はほんらい中国に属していた。琉球の付属島嶼ではなかった。日本が一八九五年にこれらを領有するようになったのは、日清戦争の勝利に乗じての火事場泥棒的行為であって、決して正々堂々とした領有行為ではない。一方、周恩来が率直に語っている通り、中国側もこの島の問題はすっかり忘れていた。このような歴史事実をごまかしてはいけない。事実を事実として受けとめる客観的で科学的な態度が必要である。研究と称しながら、実は意図的な事実隠しをしているものがおり、学者の論を絶対に鵜呑みにしてはいけない。この拙論にたいしてもそのような態度で接していただきたい。

 われわれは政府、政党、マスコミなどの見解を公的なものとして素直に受け入れてしまいがちである。しかし必ずしもそれらが正しいとは限らない。われわれにとって大切なのは真実、真理であって、狭い国家利益ではない。国家の支配者は自国の利益に不都合と彼らが判断することは隠蔽したがる。その点は政党、マスコミも同様である。

 単に尖閣列島・釣魚島の問題だけを孤立的に見るのでなく、沖縄問題、台湾問題という全体の流れのなかで過去の歴史を、そして現在を見る必要がある。

 領土問題のような国家間で見解の対立する問題が発生した場合には、対立する意見にも耳を傾け、冷静かつ平和的に問題を解決しようとする精神を常に持つ必要がある。そしてなによりも第一に相互に相手を挑発することで狭隘な民族主義や偽物の愛国主義を煽動するような行動は絶対に慎むべきあり、反対すべきである。この点でわれわれは周恩来や鄧小平の対応に学ぶべきであり、彼らを乗り越えるだけの英知をもっていないことを自覚し、反省する必要がある。

 日本と中国の国家関係はまだ「初級段階」にあるに過ぎず、より高級な段階に達するためには双方の不断の努力が必要である。
(『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか--試される二十一世紀に生きるわれわれの英知』 日本僑報社 2004年6月出版)より


学歴
1965年3月 神奈川県立川崎高校卒業
1965年4月 東京大学教養学部文科三類入学
1967年4月 東京大学文学部中国語中国文学科進学
1973年3月 東京大学文学部中国語中国文学科卒業
1980年4月 東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程修士課程入学
1983年3月 東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程修士課程修了
1983年4月 東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程博士課程入学
1986年3月 東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程博士単位修得のうえ退学
職歴
大学における職歴
1986年4月~1988年3月 東京大学教養学部外国語科中国語研究室助手
1988年4月~1993年3月 横浜国立大学教育学部助教授
1993年4月~1997年9月 横浜国立大学教育学部教授
1997年10月~2012年3月 横浜国立大学教育人間科学部教授
2012年3月 横浜国立大学名誉教授
2012年4月~現在 放送大学神奈川学習センター客員教授