日中領土問題の起源

『日中領土問題の起源 公文書が語る不都合な真実』 あとがき

 今日、日本の新聞やテレビでは「沖縄県尖閣諸島」あるいは「沖縄県の尖閣諸島」として報道することが当たり前のようになっている。以前だったら「沖縄県尖閣諸島」の後に「中国名・釣魚島」と併記し、日中間での係争中の島々であることが分かるような報道をしていたのに。

 われわれは知らぬ間に日本政府の「日中間に領土問題は存在しない」という主張を当たり前のように思い込まされているのである。これはマスコミだけの問題ではない。日中の領土問題を扱った書籍の大半が「尖閣諸島は日本固有の領土」を自明の理としてあれこれ論じている。相手の主張にも耳を傾けようとする冷静な姿勢を欠落させた論の横行は、事実に基づく理性的判断の大切さを放棄させてしまいかねない。

 そもそも何を根拠に「沖縄県尖閣諸島」と言えるのだろうか。はたしてそれが正しいのだろうか。日本政府の主張が正しいとしたら、台湾や中国政府は一体何を根拠に自国の固有の領土、と主張しているのだろうか。

 まったく根拠のない「言い掛かり」に過ぎないのだとすれば、相手の主張をきちんと紹介し、それがどうして正しくないのかをはっきりと指摘し、自分の主張の正しさを全世界に、とりわけ自国民だけでなく、相手国民にも納得してもらえるよう、正々堂々と明らかにすればいい。
 本書では明治政府の各種公文書を根拠にして、明治政府が領有するにいたる経緯を立証している。その内容に間違いがあるのなら、具体的な根拠を挙げて指摘していただきたい。

 ところで「沖縄県尖閣諸島」と言う前に、われわれは沖縄県の歴史、その前身である琉球国の歴史をどれだけ知っているのだろうか。琉球国と中国、日本との関係はどうなっていたのだろうか。琉球国の歴史の全体像を把握したうえで、魚釣島、久場島、久米赤島という島々が琉球国に含まれていたのかどうかを考える必要がある。実際には琉球、沖縄の歴史を紹介した書籍の中に、魚釣島等のことが登場することはほとんどない。

 本書では琉球、日本、中国の文献に登場する島々を分類・分析することを通してその原因を明らかにしている。琉球国の領域は明確であって、釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼としてその存在を知られていた島々は明らかに中国の領域に含まれていた。本書ではなるべく日本や琉球の資料に基づいた分析に心がけたので、中国側の文献はあまり紹介していないが、中国側の文献にはそれを立証する資料が豊富に存在している。

 琉球国を構成する島々と釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼との間には沖縄トラフという天然の障壁が横たわり、黒潮の強い流れがあるのでサバニという小舟による往来は困難であった。福建省福州から冊封使を乗せて出発した船は釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼の北西側を通って琉球の那覇に向った。
 なぜ南東側ではなく北西側を選んだのか。これらの島々は大陸棚の縁に位置し、島の南東側は急に深い海になっている。300~400人をも乗せることのできる冊封船であってもそこを流れる黒潮を乗り切るのは、常に危険を伴うことであった。「黒水」として恐れられていた黒潮を無事に乗り切り、久米島が見えてきたことで、人々は琉球国に入ったことを実感し、安心したのである。そのような記述は冊封使の記録に数多く見ることができる。琉球国の領域に魚釣島等の島嶼は含まれていなかったことは明らかである。

 本書は主として外務省ホームページに公開されている『日本外交文書』や「アジア歴史資料センター」でデジタルデータとして公開されている外務省、内務省、防衛省などの公文書資料を積極的に活用して、琉球・沖縄と明治政府、清国政府との関係を丹念に調べ、分析している。

 筆者は古文書の解読を学んだことがないし、候文(そうろうぶん)の正しい読み方も知らない。この方面では間違いなく素人である。アジア歴史資料センターで公開されているオリジナル資料の画像ファイルを解読するのは非常に難しいことであったが、幸いなことに重要な文献の多くはすでに文字データとして公開されているので、それらを参考にさせていただいた。まだ文字データ化されていない画像データだけの資料の中にも随分と貴重なものがあるが、草書で書かれていることや文章表記も現代語とはかなり異なっているため、正しく解読できていない部分もかなりある。「アジア歴史資料センター」で公開されているデータの他に、国立国会図書館の電子図書館で公開されている明治期の図書が読めたこと、また『官報』の画像データが公開されていることは大変役立った。

 あらためて歴史資料のデジタル化とその公開の大切さを実感した。ぜひ本書の読者諸氏がご自身でその点を実際に体験していただきたいと思い、できるかぎりレファレンスコードやURLを記入しておいた。そうすれば、筆者の書いていることが正しいのか、誤った解釈をしているのかを、読者諸氏が判定できるからである。

 デジタルデータの恩恵を受けたもっとも顕著な例は西村捨三についての情報である。4代目の沖縄県令であった西村捨三の沖縄県との関わりはこれまでほとんど注目されてこなかった。彼の沖縄政策について、本格的に紹介したのは本書が嚆矢をなす、と自負している。しかし本格的な紹介と称するにはおこがましく、まだ初歩的なレベルに過ぎない。ただ西村捨三については、沖縄の歴史という点からも、また幕末から明治という激動の時代を生き抜いた人物の歩みとしても、もっと多くの人々が注目し、研究を深めてほしいと思っている。実に魅力溢れる人間であり、西村捨三という存在を知ったことが、本書執筆における最大の収穫と言っても過言ではない。

 尖閣諸島・釣魚島問題についてはすでに『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか――試される二十一世紀に生きるわれわれの英知』という小さな書籍を2004年6月に日本僑報社から出しているし、授業や講演などで報告してきたので、さほど時間を要することなく本書を書き上げることができると思っていた。
 書き始めた頃は2012年末までに書き上げる予定であったが、それが2013年3月に延び、最終的には6月刊行と、大幅に遅れてしまった。

 当初は日中間の領土問題を「共有論」という視点から分析し、問題解決のための提言をも含んだ内容にしてまとめるつもりでいた。最初に書き上げた第1章は「2010年9月の中国漁船衝突事件の検証」。そこからスタートして、琉球・沖縄と中国、日本との関係史、その中における釣魚島・尖閣諸島の問題を分析していく予定であった。
 しかし琉球の歴史に関する概説書、専門書をいろいろ読むなかで、琉球から見た東アジア世界の動きに引きつけられていった。
 第2章は、いわば私自身にとって琉球史の学習ノートになっている。琉球史の要点をきちんとまとめられているとはとても言えないが、中国、日本と琉球がどのような関係にあったのかを整理するうえでは役立った。第2章を基礎にして以降、少しずつ自分の分析を示すことができるようになった。ただその結果、全体があまりに長大になることが明白になったので、日本政府が尖閣諸島を領有したとする1895年までを一冊にまとめることにし、書名も『日中領土問題の起源』として、単独の書籍にした。

 しかし筆者の根底にある構想はあくまでも「共有論」であり、それについては新たにまとめるつもりだが、調べたいこと、考えたいことがいろいろあり、それら素材をじっくり熟成させたうえでいずれ発表したいと思っている。そのためにもこれまで以上に、日中双方のさまざまな人々と交流を重ね、お知恵を拝借したい。
 本書の出版にあたっては花伝社のみなさん、とりわけ平田勝社長および山口侑紀さんにお世話になったことを記して感謝の意を表す。

    2013年6月 村田忠禧

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