日中領土紛争を平和的解決を実現するための具体的な提案

日中領土紛争を平和的解決を実現するための具体的な提案
村田忠禧 2013年11月28日

 尖閣諸島・釣魚島の領有権をめぐって日中両国政府の見解は対立している。現実に見解が異なっている以上、両国政府は話し合いによる平和的解決の道を選択する以外にない。
 話し合い解決の道を進むためには、その障害物を一つ一つ除去し、話し合い実現に相応しい環境を作る努力が必要である。
 双方とも、相手を挑発する恐れのある行為をすべて禁止し、けん険悪化した事態を冷却化し、理性的な対話ができる雰囲気作りに努力すべきである。一定期間(たとえば一年間)、この島の領海12カイリ内を双方とも立ち入り禁止区域とし、あらゆる船舶の立ち入りを停止することを約束するといったことも考えられるのではないか。
 同時に双方の関係当局は、万一、不測の発生した場合の処理方法について合意事項をまとめ、双方とも事態を悪化させる意図はなく、平和的に解決する意志を有していることを確認しあう「ホットライン」作りを行うべきである。
 両国の政府指導者は対話実現のために知恵と勇気を出すべきで、「面子」にこだわるべきではない。
 領土問題は政府間の見解の相違から発生しているが、政府間の争いにとどまらず、民間をも巻き込んでおり、相手国への国民感情の悪化、嫌悪感、不信感を増大させ、その悪影響は両国間のあらゆる分野に及んでいる。事態は深刻である。

民間交流を積極的に展開する
 領土問題となると人々はいとも簡単に「愛国者」に変身する。「寸土たりとも譲るべからず」という強硬論がのさばり、相手国への敵愾心、不信感を煽る口実にされてきた。
 領土の「魔力」から解放され、冷静に、客観的に問題を見て、柔軟に対処できる知恵と能力を身につけなければならない。
 それは簡単でもあり、難しいことでもある。要は自己(自国)の観点を絶対視せず、相手側の考え、主張にも耳を傾け、いかなる場合でも「対話」を放棄せず、相互の信頼関係を強め、友好的、平和的な解決の道を見いだそうとする努力をすることである。
 政府間の対立を民間には持ち込まない、という精神が大切で、さまざまなレベル、多様な分野の民間交流を積極的に展開していくべきである。
 領土をめぐる政府間の対立が存在することを理由に民間交流を中断させることは間違いである。民間交流は対立激化を防止する重要な緩衝材、和解実現のための促進剤である。
 民間交流をするにあたり、政府間で係争中の問題についての見解の一致を求める必要はない。領土問題への認識や態度を民間交流実施の「踏み絵」にしてはならない。

冷静、客観的気風を育てていく努力の必要性
 誰しも生まれ育った環境や受けた教育などが異なるのだから、ものの見方は一様ではない。ましてや国が異なれば異なった理解が生ずることは不思議なことではない。しかし「領土問題」となると、残念なことに人々はいとも簡単に「国家」の枠に取り込まれ、冷静さを失ってしまう。
 自己(自国)の見解の正当さを主張するだけでなく、相手が正当と思って主張することにも耳を傾ける謙虚さが必要である。冷静、謙虚、真摯、友好を重んじる対話の精神が必要である。
 今を生きる人間同士の「対話」とともに、過去(歴史)との「対話」も必要である。
 過去は教育や伝承によって認識されるため、国家や民族が異なれば、過去の理解(歴史認識)の共有化は簡単には実現しない。日本と中国との間には過去百年余りの歴史において侵略、被侵略という大きな溝が存在していたため、歴史認識の共有化は一筋縄では実現できない。双方ともじっくりと時間をかけて知り合おうとする地道な努力が必要である。
 今年は日中平和友好条約締結35周年であるが、ドイツとフランスが1963年1月に調印した「独仏協力条約」(エリゼ条約)締結50周年でもある。対立ではなく和解の道を選択したドイツとフランスの50年間の歩みからわれわれは学ぶ必要がある。

歴史事実の共有化作業を行う
 事実という共通の土台が存在しない状態での認識の共有化は砂上の楼閣に過ぎない。事実の共有化は、事実を事実として認める誠実さがあれば、実現は可能である。
 しかし事実の共有化も簡単に実現できるものではない。自分(自国)に都合のよいことだけを事実として認めたがる「習性」があり、不都合な事実を隠蔽したり、改竄したりすることもないとは言えない。
 同一の事件であっても見る角度や力点の置きかたが異なれば、見える事実も異なってくるのも現実である。異なる視点を拒否してはならない。現実は複雑多様であり、多角的視点はものごとを総合的に理解するうえで必要なことである。

日中国交回復交渉と平和友好条約交渉に関する資料を全文公開すべき
 公文書を改竄することは犯罪行為である。削除や隠蔽も犯罪行為である。政府は歴史資料の公開作業を責任を持って行うべきであり、法定期間を過ぎた歴史資料の公開を求めることは正当な権利であり、それを妨害したり、危険視してはならない。
 特定の人間、組織にのみ資料を開放する、というのは愚民政策の表明であり、国民の自覚的・科学的思考の発達を妨げる対応である。学術研究活動に等級観念を持ち込むことも正しくない。
 今年は日中国交回復41周年、平和友好条約締結35周年にあたる。「中華人民共和国档案法」第19条は次のように規定している。

「国家档案馆保管的档案,一般应当自形成之日起满三十年向社会开放。经济、科学、技术、文化等类档案向社会开放的期限,可以少于三十年,涉及国家安全或者重大利益以及其他到期不宜开放的档案向社会开往的期限,可以多于三十年,具体期限由国家档案行政管理部门制订,报国务院批准施行」

 日本にも「情報公開法」があり、30年を過ぎた公文書は公開が原則となっている。石井明ほか編『記録と交渉 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(2003年8月、岩波書店)は「情報公開法」にもとづいて公開された文書を収めている。そこには貴重な資料や証言が数多く収録されているが、外務省は資料を公開するにあたり意図的に隠蔽・削除している部分があることも明らかになっている。
 それはいわゆる尖閣・釣魚島棚上げ論に関する部分で、矢吹晋著『尖閣問題の核心』(2013年1月)は外務省が意図的に記録を改竄していることを明らかにしている。その主張の根拠は『日本学刊』1998年第1期に掲載された張香山論文である。張香山氏は日中国交交渉の当事者で、中国の外交档案を見ることができる人である。
 中国では田桓主編『戦後中日関係文献集』が中国社会科学出版社から出されており、1971-1995年の部分は1997年8月に刊行されている。しかしそこに収められている文献の大半は新華社や人民日報の報道などであり、率直なところ学術的価値は低い。1972年7月の周恩来・竹入義勝会談の記録(いわゆる「竹入メモ」)も収められているが、それは1980年5月23日『朝日新聞』に掲載されたものであって、前述の『記録と検証』で掲載されている外務省が公開した「竹入メモ」よりも簡略化されている。
 しかも情報公開法にもとづいて外務省が公表した「竹入メモ」そのものが、公開するにあたって削除されていることは、竹入自身が「会談記録も二回目の会談でわずかに触れているだけだ」(『記録と検証』204頁)と回想している通りである。
 ましてや1972年9月25日~28日の田中・周恩来の日中首脳会談、9月26日~27日の大平・姫鵬飛の外相会談の記録は田桓編『戦後中日関係文献集』にはまったく載っていない。
 その後、中国で中日国交正常化交渉、平和友好条約交渉をめぐる文書が公開がなされたのか、管見ながら私は知らない。
 私は中共中央文献研究室を訪問するたびに、1972年7月の周・竹入会談の記録が文献研究室にないのかを尋ねてきたが、毎回の返事は「ここにはない」とのこと。今年9月にこの件について外交档案館の担当者に友人を通じて面会を求めたが、外交档案館の担当者は会うことすらしてくれなかった。
 日本側が曲がりなりにもすでに公開している41年前の文書は機密文書であるはずがない。「档案法」の規定にもとづき公開すべきものである。しかも日本外務省が公開している情報には意図的に削除している疑いがあるので、真相を明らかにしたいと思って公開を求めているのに、なぜそれを妨げようとするのか。外交档案館の対応はまったく理解できないし、彼らの対応は怠慢であり、法律を遵守していない、と指摘せざるを得ない。
 日中関係が悪化している一つの大きな原因は、双方の当事者に科学的、客観的な視点で問題を考えようとする姿勢が欠落していることと大いに関係していると私は思っている。関係者は大いに反省すべきである。
 ぜひとも本物の中日国交正常化交渉記録(そこには毛沢東・田中会談記録をも含む)を全文公開していただきたい。そうすることこそが日中国交正常化、平和友好条約締結に貢献した先人たちの知恵と努力に学ぶこととなるであろう。

領土問題をめぐる資料集の共同作成
 領土問題を平和的に解決する第一歩として、領土問題に関する事実の共有化作業を共同で行い、それぞれの国民に客観的、科学的、総合的、そして平和的にこの問題を考え、解決するための基盤整備作業を行うべきである。
 具体的な事実の共有化作業とは歴史事実の発掘、整理、共通資料集の編纂と相手側言語への翻訳と公開(書籍とともにウェブ上をも含む)、共有化作業の成果を踏まえた歴史の共同研究とその成果を普及させる作業である。また歴史事実だけでなく、現状についても共同実態調査を行うことが望ましい。
 これらの作業には時間も経費もかかる。現実の作業を行う人材の確保・育成も重要である。両国政府の共同任務として歴史事実および現状の実態調査のための活動を支援していくべきである。
 この作業は日本と中国(台湾も含む)の間だけでなく、韓国(朝鮮も含む)との共同作業として進めることが望ましい。一挙にそれが実現できないとしても、常にその方向に発展して行く余地を残しておく必要がある。

領土問題に関する共同研究の積極的意義
 係争国の学者が中心になって係争中の問題を共同研究することは、事実を重んじ、冷静、科学的に問題を考え、対処する環境を作り上げるのに積極的な役割を果たすことができる。
 その際に係争中の事実について多角的、総合的な観察と理性的判断をするように努め、個別事実を絶対化、拡大化し、他の要素を受け入れようとしない対応は取らないよう心がける必要がある。
 双方とも、相手には相手の理由があるのだから、その主張に耳を貸そう、という精神的余裕を持った態度が必要である。異なる視点の存在は事物を総合的に認識するうえで積極的な役割を果たす。見解の相違を否定的に捉えてはならない。ただし多様な視点の可能性を口実にして、真実を認めようとしない不誠実な態度をとってはならない。
 領土問題を平和的に解決した、あるいは解決できずに戦争への発火点になってしまった内外の事例を研究し、そこから教訓と知恵を汲み取る作業も同時に行う必要がある。
 双方が合意できる点は何なのかを冷静、客観的に分析し、双方が満足できる解決策を探究することも民間団体の任務である。

日中韓の正三角形の連携を構築しよう
 日中間には尖閣・釣魚島が、日韓間には竹島・独島が係争中の領土問題として存在する。
 尖閣は日本が実質的に占拠し、領土問題は存在しないと主張している。
 独島は韓国が実質的に占拠し、やはり領土問題は存在しないと主張している。
 日本政府は竹島については以下のように主張している(外務省のHPより)
「竹島問題について法にのっとり、冷静かつ平和的に紛争を解決するため、国際司法裁判所への我が国単独での付託を含め、適切な手段を講じていく考え」
 一方、日本が占拠している尖閣諸島については
「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現に我が国はこれを有効に支配している。尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」
 同じく係争中の領土でありながら、対応はまったく異なる。要するに自国が占拠している場合には問題の存在を認めず、相手が占拠している場合にのみ問題である、と主張している。これは「北方四島」についても同様である。
 安倍首相は「対話のドアはいつでも開けている」と言いつつ、実際には日中間に「領土問題は存在しない」と主張し、この問題については話し合う余地がない、という立場をとっている。しかも「海洋分野をはじめとした法の支配の重要性」(10月10日記者会見)を主張し、さらには宮古島に陸自の地対艦ミサイル部隊を展開させ、あたかも中国海軍の動きを脅威であるかのように印象づける対応をしている。きわめて危険な動きである。
 暗礁に乗り上げてしまったかのような膠着状況を打破する手段として、中国政府が領土問題を国際司法裁判所に提訴する、というのも一つの選択肢として検討しているのもよいのではないか。
 そうすることの利点として
 1 武力に訴えてこの島を「奪取」しようとしている、という宣伝を打破できる。
 2 中国の主張・道理を日本を含む全世界に示すことができる。
 3 中国は国際法、国際慣行を尊重することを日本を含む全世界に示すことができる。
 4 平和的解決を求めているというメッセージを日本を含む全世界に示すことができる。
 5 日本政府は国際司法裁判所の義務的管轄権の受諾国であり、日本政府は中国政府の提訴に応じる義務がある。
 実際に国際司法裁判所に提訴するか否かは日本政府の反応次第で決めればよく、当事国同士で平和的に解決することが最も望ましいことは言うまでもない。しかし提訴の姿勢を示すことを話し合い解決への糸口にすることができよう。
 ただし中国政府は国際司法裁判所に提訴することの意義と目的を、事前に韓国政府に伝え、その理解を得ることが望ましい。そうしないままに行うと、竹島・独島問題をめぐる韓国政府の立場を不利にする恐れもあり、事前に韓国政府に理解を求める必要があろう。
 日本政府にとっても中国政府が提訴するとなれば、竹島・独島問題を解決するためのキッカケにもなりうるので、必ずしも反対しないのではなかろうか。
 このような視点から、硬直化した東アジア三国関係を改善するための第一歩として、国際司法裁判所に提訴するという行為は検討に値すると思う。

共に手を取り合って発展することの大切さ 妥協の勧め
 領土問題の発生は戦争と密接に結びついている。日中間では1895年の日清戦争、日韓間では1905年の日露戦争と関係して発生している。日露間の北方四島問題は1945年の日本の敗戦から始まっている。表面的には領土問題ではないが、沖縄が相変わらず米軍基地の島として苦しんでいるのも1945年の敗戦の結果である。
 戦争によって領土問題を「解決」することは新たな戦争の火種を作るだけであり、そのような愚行を繰り返してはならない。「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」という「日中共同声明」における約束は絶対に遵守すべきである。
 日中間の領土問題を平和的手段で解決する知恵と術を身につけ、それを実現する決断力と勇気を持つべきである。
 解決方法としては、領土主権については各々の主張を保持したまま、日中の平和・友好・協力、共同発展の象徴として、この島々を共同管理する協定を結ぶのが一番妥当な解決策ではなかろうか。
 これは明らかに双方にとって「妥協」である。妥協を通して双方がより大きな利益を得られ、明るい未来を切り開けるのであるのなら、このような妥協は積極的に評価し歓迎すべきではなかろうか。
 自国が勝利することを追い求める発想は力による解決に向い、それは最終的には戦争に突き進むことになる。グローバル化した時代に、そのような考えはそぐわないし、かつての日本軍国主義の歴史を見れば、そのような考えには未来がない、ということも明白である。日中両国政府ともそれを望んでいないことも事実である。
 われわれは真剣に「妥協」の道を開拓していくことを考えるべきである。その先には東アジアが共に手を取り合って発展していく新しい未来が見えてくるはずである。
 「妥協」をするためには相互の信頼関係の存在が不可欠である。信頼関係を強めるために役立つさまざまな活動を積極的に展開していこう。信頼関係を害う行為は一切やらないように心がけよう。

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